人を信じるということ

Vol.3
~芦田 愛菜ちゃんに学ぶ~

 

「またまた、芸能人の話ですか?ミーハーですねぇ!」とお叱りをいただくかもしれませんが、今回ご紹介するのは、コロナ禍最中の2020年で私が最も感心した話です。

 

昨年の主演映画の完成報告イベントで「信じる」ことについて聞かれた芦⽥愛菜さんのコメントが、⽇本だけでなく海外の⼈々からも反響を得たそうです。

まだ10代という年令も国境も超越した芦⽥さんの⾔語能⼒はとにかく半端ないのですが、それよりもその内容が哲学的というか人事の本質を突いているというか・・・

 

まずは全文をお読みください。
(彼女はメモなどなく、自分の言葉でスピーチしています)

 

 

「『その⼈のことを信じようと思います』っていう⾔葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その⼈⾃⾝を信じているのではなくて、『⾃分が理想とする、その⼈の⼈物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

 

「だからこそ⼈は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか⾔うけれど、別にそれは、『その⼈が裏切った』とかいうわけではなくて、『そのえなかった部分がえただけ』であって、その⾒えなかった部分が⾒えたときに『それもそのなんだ』と受けめられる『揺るがない分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」

 

「でも、その揺るがない⾃分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ⼈は『信じる』って⼝に出して、不安な⾃分がいるからこそ、成功した⾃分だったりとか、理想の⼈物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

 

 

私なんかは今でも人の⾒えなかった嫌な部分が⾒えたときに、「それもそのなんだ」と受け⽌められず、すぐにがっかりしてしまうので、「揺るがない分」には程遠いなぁと・・・

ただ「自分の軸を持つこと」の大切さは、改めて彼女から教えられたように思います。

 

人事の仕事をしていた頃の反省の気持ちを込めて振り返れば、社内で一度その人に付けた評価は、よっぽどのことが無い限り大きく覆るようなことは多く無かったですね。

「レッテル張り」は絶対に良くないことだと分かってはいるものの、「人柄が良くて仕事が出来る人」「仕事はまあまあだけど他者に攻撃的な人」・・・などと、人事評価の名のもとに会社の人を見ていたところがあったことを、今更ですが白状します。

 

それにしても彼女の読書好きは有名だそうですが、本からだけでなく子役の頃からたくさんの大人と仕事をしている中で得た感性は、本当に素晴らしいの一語に尽きますね。

 

芦田愛菜さんの語ったことを何度も読み返して、しみじみ「そうだよなぁ」と感銘を受けた次第です。

人間生きている年数は関係ありませんね。高校生の彼女からたくさんのことを学びました。

 

 

 

【最後までお読みいただき、ありがとうございました】

 

 

2021/08/04