人事の仕事で「偏っていないこと」って、大事ですよね。
偏見を持ってはいけないと教えられた思い出があります。
今から50年近くも前のことです。
私が通っていた小学校は、横浜で有名な歓楽街のそばに今も位置しています。
低学年の頃でしょうか、通学路にホームレスの人 (当時は「浮浪者」と呼ばれていました)が、何人も横たわっていました。
子供が追いかけられたという噂を耳にしていたので、怖いなと思っていた記憶があります。
ある日、何かの理由でたまたま父親と一緒に通学した時のことです。
ホームレスの人の横を歩いていた時に、父親が私の耳元で、こうささやきました。
「爽太郎、この人達のことを決して色眼鏡で見てはいけないよ。」
今でも一言一句、耳に焼き付いています。
カウンセリングを学んでいるとき、教本を読んで一番ドキッとしたところは「【準拠枠(じゅんきょわく)】にとらわれないように気を付けましょう」という一節でした。
「準拠枠」という言葉は、心理学、カウンセリング、キャリアなどの分野で使われます。
人が物事を認識したり、判断する際の「基準」というような意味です。「価値観」が最も近いように思います。
人の話を聴くとき、その基準は「色眼鏡」にもなります。自分の経験というフィルターを通すことにもなり、決め付けに繋がります。決め付けは禁物です。
人間とは誰しも、自分で経験したことに自分の感性を加えて人の話を聴いてしまうものです。
しかし、偏り過ぎていると危険をはらみます。特に若い人にとっては「どうしてそういう考え方になるの?」「言ってる意味がわかんない」となっちゃうんですよね。
また、ミドルやシニアは、過去の成功体験から部下や後輩を指導しようとすると、ヤング層からは「上から目線」と取られることもしばしばです。
「上から目線」程度ならまだ良いのですが、私が今までに出会った職場でのパワハラ系トラブルは、その多くがこの「成功体験に基づく準拠枠」からの「一方的指導」のパターンでした。
実はそれよく聞いてみると、成功体験でもない話が多くあります。辛かったことを結果的に乗り越えた経験を話しているだけ。その経験に意味があり、今の自分があると錯覚している。
はっきり言ってそういう人は、経験から何も学んでいないのですよ。
偏った「準拠枠」による指導を受けることになった人生経験の少ない若者は、たまったものではありませんね。
そういう私も、準拠枠にとらわれているかもしれません。
今年大活躍した大リーガーの大谷 翔平選手は、花巻東高校の監督から「球場で一番高い場所はマウンドであり、目立つ場所だからこそ謙虚であれ」と教えられたそうです。
人事の仕事が長かった私には、今も何種類もの色眼鏡が掛かっているでしょう。
いくつになっても常に「自分はまだまだだな」と振り返り、学びと成長を止めない謙虚な姿勢を何よりも大切にして、思い込みや決め付けの「準拠枠」を取り払っていきたいと思っています。
【最後までお読みいただき、ありがとうございました】
2021/11/17